第百六話 出版特集
「北斗」第658号(令和元年6月号)に掲載
「北斗」同人の青山京子さんから歌集『残照』をいただいた。その約一カ月後に、北斗事務局からはがきが届いた。
青山京子歌集『残照』感想文のお願い。
(中略)
『北斗』六月号で特集を組みたいと思いますので、四月五日までに、竹中忍宛感想文をお送りください。
(中略)
本を出版した場合『北斗』では特集を組むことが慣例になっています。強制ではありませんが、ご協力をお願いします。
さて困った。水田功は『短歌音痴』なので、はがきに「人工天文台程度でも結構です」とあるのを真に受け、町井たかゆき著『十三年』の場合と同様に、人工天文台にぐだぐだ短文を書いて難を逃れる心づもりでいた。
ところが、毎日一頁程度ずつ読み進めている『日蓮大聖人御書全集』の中に、次のような一節を発見した。
【例せば先に人丸(ひとまろ)が・ほのぼのと・あかし(明石)のうら(浦)の・あさぎり(朝霧)に・しま(島)かくれゆく・ふね(船)をしぞをもう・とよめるを、紀のしくばう(淑望)源のしたがう(順)なんどが判じて云く「此の歌はうたの父・うたの母」等云云】
水田は驚いた。末法の御本仏と仰ぐ日蓮大聖人が、譬えとしてこの歌を引用されているのだ。しかも、その僅か十日後に再び短歌に出くわした。
【又業平(なりひら)が歌にも葎(むぐら)をいて・あれたるやど(宿)のうれ(憂)たきは・かりにも鬼の・すだく(集)なりけりと云うも女人をば鬼とよめるにこそ侍(はべ)れ】
あまりのタイミングの良さに水田はニッコリ微笑んだ。北斗『第百六話』の掌編小説としてこの事を取り上げれば、一石二鳥ではないか、と。
後の歌の方は、その前の箇所で華厳経や銀色女経に女人不成仏が説かれていることを引用されての文言だが、先の歌は明らかに「歌の父であり歌の母」と、短歌そのものを高く評価されているものだ。調べてみると、詠み人知らずではあるが、柿本人麻呂説もあるらしい。
水田は押し並べて家族をおもう歌が好きなので、全五百四十六歌中三十三歌を左に列挙させていただく。
アネモネの開くを見んと数時間動かぬ吾を夫は笑ひぬ
残り毛糸つなぎて編みし膝掛けで受験迎ふる吾子を包まん
受験生の吾子を思へどすべもなし神に願かけ好物を絶つ
ショートカットせし髪形も気付かざる夫の周囲をやたら行き来す
ふくれ顔やめれば満点女房とふ夫の言葉に今日もそむきぬ
幾年か触るることなき子の髪を梳きやりて項の白さにとまどふ
馬子の衣装纏ひて献馬に従きし日の思ひ出語る夫は若やぐ
病室に見舞ひし吾に先づ母は旅の疲れを労りくるる
唐突に正座して母は涙ぐみ月毎の便りの礼を言ひたり
気丈夫な母のおもてに険しさの消へてやさしさを寂しと思ふ
この母と綾取りせしは遙かなる日溜りの中のおさげの私
明朝の出立告ぐる吾の顔を見つむる母の目は潤みくる
吾が到着を待ちゐしごとくその夜から父の意識は醒めることなし
父逝かばけんかができぬと呼びかけし母の声未だ耳に哀しき
ただいまの代りに「京子――」と名を呼びて帰宅してゐし父の日常
「作文の上手くなるには手紙書け」父の教への胸に響けり
川音を聞きつつ微睡むかたはらに倦きもせず夫は釣糸垂るる
成人の日の振袖を拒みゐてスキーに出で行く吾子を見送る
ひとつ傘に身を寄せ合ふも旅先の解き放さるる心なるらむ
人並みに気遣ふ吾に「母さんの娘ですよ」と子は言ひ放つ
主なき部屋に残りし空つぽの机のきずをそつと撫でゐる
職退きし夫の手になる吊し柿几帳面らしく軒に並びぬ
癌の告知拒みて嘘を貫きぬ夫への愛の証と信じて
いつかくる別れの日まで泣き顔は封印せるとひそかに誓ふ
声あげて泣けるは心軽からむ泣くこと叶はぬ痛み知りたり
「ありがとう」の声かけくれしその夜から夫の意識はもどることなし
臨終の夫のまなじりに滲みたる涙は別れの言葉なるらむ
旧姓の吾の名前も黄ばみたる十円切手の夫の恋文
祖父を送る言葉にかへて斎場に少女の奏づるホルン響けり
阿寒湖畔吾の撮りたる一枚が夫の遺影になりしこの場所
お別れの末期の水を日本酒に代えて含むる姉の心情
昼神の出で湯にひとり浸りゐる夫と最後の旅なりし里
さり気なく吾の歩調に合はせくるる孫と連れたつ春の地下街
ところで、先の柿本人麻呂の歌に迫る秀歌をさがせば、この歌集の二百七十二番目にある、次の歌だろうか。
旅人のごとき顔して真向かへばふる里の海は淡き残照
青山京子さん、御上梓おめでとうございます。
柿本人麻呂
「北斗」同人の青山京子さんから歌集『残照』をいただいた。その約一カ月後に、北斗事務局からはがきが届いた。
青山京子歌集『残照』感想文のお願い。
(中略)
『北斗』六月号で特集を組みたいと思いますので、四月五日までに、竹中忍宛感想文をお送りください。
(中略)
本を出版した場合『北斗』では特集を組むことが慣例になっています。強制ではありませんが、ご協力をお願いします。
さて困った。水田功は『短歌音痴』なので、はがきに「人工天文台程度でも結構です」とあるのを真に受け、町井たかゆき著『十三年』の場合と同様に、人工天文台にぐだぐだ短文を書いて難を逃れる心づもりでいた。
ところが、毎日一頁程度ずつ読み進めている『日蓮大聖人御書全集』の中に、次のような一節を発見した。
【例せば先に人丸(ひとまろ)が・ほのぼのと・あかし(明石)のうら(浦)の・あさぎり(朝霧)に・しま(島)かくれゆく・ふね(船)をしぞをもう・とよめるを、紀のしくばう(淑望)源のしたがう(順)なんどが判じて云く「此の歌はうたの父・うたの母」等云云】
水田は驚いた。末法の御本仏と仰ぐ日蓮大聖人が、譬えとしてこの歌を引用されているのだ。しかも、その僅か十日後に再び短歌に出くわした。
【又業平(なりひら)が歌にも葎(むぐら)をいて・あれたるやど(宿)のうれ(憂)たきは・かりにも鬼の・すだく(集)なりけりと云うも女人をば鬼とよめるにこそ侍(はべ)れ】
あまりのタイミングの良さに水田はニッコリ微笑んだ。北斗『第百六話』の掌編小説としてこの事を取り上げれば、一石二鳥ではないか、と。
後の歌の方は、その前の箇所で華厳経や銀色女経に女人不成仏が説かれていることを引用されての文言だが、先の歌は明らかに「歌の父であり歌の母」と、短歌そのものを高く評価されているものだ。調べてみると、詠み人知らずではあるが、柿本人麻呂説もあるらしい。
水田は押し並べて家族をおもう歌が好きなので、全五百四十六歌中三十三歌を左に列挙させていただく。
アネモネの開くを見んと数時間動かぬ吾を夫は笑ひぬ
残り毛糸つなぎて編みし膝掛けで受験迎ふる吾子を包まん
受験生の吾子を思へどすべもなし神に願かけ好物を絶つ
ショートカットせし髪形も気付かざる夫の周囲をやたら行き来す
ふくれ顔やめれば満点女房とふ夫の言葉に今日もそむきぬ
幾年か触るることなき子の髪を梳きやりて項の白さにとまどふ
馬子の衣装纏ひて献馬に従きし日の思ひ出語る夫は若やぐ
病室に見舞ひし吾に先づ母は旅の疲れを労りくるる
唐突に正座して母は涙ぐみ月毎の便りの礼を言ひたり
気丈夫な母のおもてに険しさの消へてやさしさを寂しと思ふ
この母と綾取りせしは遙かなる日溜りの中のおさげの私
明朝の出立告ぐる吾の顔を見つむる母の目は潤みくる
吾が到着を待ちゐしごとくその夜から父の意識は醒めることなし
父逝かばけんかができぬと呼びかけし母の声未だ耳に哀しき
ただいまの代りに「京子――」と名を呼びて帰宅してゐし父の日常
「作文の上手くなるには手紙書け」父の教への胸に響けり
川音を聞きつつ微睡むかたはらに倦きもせず夫は釣糸垂るる
成人の日の振袖を拒みゐてスキーに出で行く吾子を見送る
ひとつ傘に身を寄せ合ふも旅先の解き放さるる心なるらむ
人並みに気遣ふ吾に「母さんの娘ですよ」と子は言ひ放つ
主なき部屋に残りし空つぽの机のきずをそつと撫でゐる
職退きし夫の手になる吊し柿几帳面らしく軒に並びぬ
癌の告知拒みて嘘を貫きぬ夫への愛の証と信じて
いつかくる別れの日まで泣き顔は封印せるとひそかに誓ふ
声あげて泣けるは心軽からむ泣くこと叶はぬ痛み知りたり
「ありがとう」の声かけくれしその夜から夫の意識はもどることなし
臨終の夫のまなじりに滲みたる涙は別れの言葉なるらむ
旧姓の吾の名前も黄ばみたる十円切手の夫の恋文
祖父を送る言葉にかへて斎場に少女の奏づるホルン響けり
阿寒湖畔吾の撮りたる一枚が夫の遺影になりしこの場所
お別れの末期の水を日本酒に代えて含むる姉の心情
昼神の出で湯にひとり浸りゐる夫と最後の旅なりし里
さり気なく吾の歩調に合はせくるる孫と連れたつ春の地下街
ところで、先の柿本人麻呂の歌に迫る秀歌をさがせば、この歌集の二百七十二番目にある、次の歌だろうか。
旅人のごとき顔して真向かへばふる里の海は淡き残照
青山京子さん、御上梓おめでとうございます。
柿本人麻呂




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